Aihara! オーディオ・ビデオの歴史 80年代篇


Aihara!のスーパーオタッキーな歩みを紹介するコーナーです。
製品名にリンクして「カタログ写真」がみれます。


1980.1 「週刊TVガイド」定期購読開始。
1980.3 カセットデッキ「ソニーTC−K65」導入。 悲願だった「カセットデッキ」導入を、高校合格祝いに
実現。当時話題のメタルテープに対応していたほか、
ランダム選曲再生機能を有し、従来のラジカセと組み
あわせて、ステレオ音声でのダビングが可能になった

1981.3 ウォーキングカセット「アイワTP−S−30」
導入
●「ウォークマン」はソニーの商標。アイワの「カセットボー
イ」、東芝の「ウォーキー」とともに御三家と呼ばれていま
した。
1979年に発売になったソニーの「ウォークマン」は
再生機能のみにも関わらず大ヒットとなったが、まだ
録音機能付きの「ウォークマン」がなかった頃、アイワ
が「カセットボーイ」の名でモノラルマイク内蔵型を発売
。(外部マイクだとステレオ録音可)アウトドアオーディ
オへの参入となった。
1981.12 再生専用カセットデッキ「ソニーPB−5」
導入。
●ダビング時の音質が向上した。
ソニーのカセットデッキとリンクさせて使うことを目的に
開発された再生専用デッキ。ランダム選曲機能を使っ
て、もう一方のメインデッキが自動的に録音/一時停
止するというもの。ダブルデッキが普及する前の過渡
的な商品といえるだろう。
1982.9 屋外アンテナ「YAGI F−F88」導入。
●見た目は8素子のアンテナですが、左右に段差を設け
ることにより、16素子なみの性能を得られるという、当時
注目の画期的新製品。たまたまTVアンテナで「FM北海
道」の試験放送が聞こえたので、「これはイケる!」という
ことで導入に踏み切ったのでした。
民放のFM局は長いあいだ、東京、大阪、名古屋、福
岡の4曲に限られてきたが、この年2月のFM愛媛を
皮切りに「新設ラッシュ」となり、9月に開局の「FM北
海道」に備えて導入。開局当初、送信所は札幌手稲
山のみということで、「遠距離受信用アンテナ」が必要
であった。NHK−FMしか知らない自分にとっては、F
MからCMが流れるというのが、もう驚きで新鮮で・・。
1983.4 新ラジカセ「アイワCS−J38」導入。 ラジカセながら、ドルビー録再が出来るという代物。
1984.3 カセットテープの累計が500本を突破。
1984.5 「月刊MSXマガジン」(アスキー)購読開始。 来るべきパソコン時代に備えて、知識を備えなくては
・・・という興味から、当時NEC/富士通を除く国内家
電メーカーが規格統一を目指した「MSX」パソコンの
月刊誌であった。
1984.6 「FMfan」(共同通信社)定期購読開始。
●オーディオ情報の「レコパル」、国内アーチスト情報の「
週刊FM」、ビジュアル志向の「ステーション」に対して、
クラシックや洋楽情報に強い。今日唯一残るFM誌の最古
参です。
ビルボードのヒットチャートがフルヴァージョンで楽しめ
る「リクエスト・コーナー(NHK−FM毎週日18:00〜
)」という番組があり、自分も77年の洋楽進出当時か
ら聴いていたが、そのチャートが記載されている「FM
誌」があると知り、チャートマニアの必需品ということで
購読を開始。以来、チャートのページはすべてファイリ
ングされている。
1984.11 ソニーのカセットテープがマクセルを抜いて
本数トップに。
1984.12 シングルレコード100枚突破。
1985.1 CDソフト購入開始。
●記念すべきCDソフト第1号は
岩崎宏美「スペシャルコレクション」(¥3,500)
◆ビクター
1982年に発売されたCDプレーヤーは、はじめなか
なか普及しなかったが、84年に発売になったソニー
の「D−50」というポータプル機がスマッシュヒットと
なり、徐々に上昇気流を描きつつあった頃、年内プレ
ーヤー導入を目標に、先行してCDソフトの導入に踏
み切った。
1985.1 「ザ・テレビジョン」購読開始。 「週刊TVガイド」は購読中止。
◆東京生活はじまる。
1985.4 カセットデッキ「アイワAD−R−50」導入。 長時間(留守)録音の必要性から、初めてオートリバ
ース機を導入。アイワが早くから搭載して来た「ドルビ
ーHXプロ」は、高音部が美しく録れるシステムとして
その効果を実感した。定価¥59,800を現品限りと
いうことで2万円も引いてくれたのは、のちに一世を
風靡する、渋谷の「城南電気」であった。合掌・・・。
1985.4 MSXパソコン「ソニーHB−701FD」導入。 オーディオ・ビデオ・コンピューターの統合をめざして
導入したが、時期尚早だったか。”使える”ソフトが少
なく、ワープロ機としての域を出なかった。今日でも、
購入が悔やまれる商品。
1985.11 CDプレーヤー「ソニーCDP−70」導入。
●リモコンが別売で¥64,800(!!)もしたんですよ、
当時。ソニーでは最薄型で、「デザインが良い」と友人に
言われ有頂天になっていたら、知らないうちに友人の購入
したCDソフトに占拠される始末。当時はCDプレーヤーを
持っているのは珍しかったのです。
11月から始めた「青山劇場」での初バイト料で、念願
のCDプレーヤーを購入。自分で働いたお金で購入し
た初の大型商品となった。うれしかったなあ・・・。
1985.12 スピーカーシステム「ソニーMU−S7」購入。
●PA用スピーカーなので、低音が魅力的です。
それまではラジカセのスピーカーで我慢して来たが、
(シスコンは函館に置いたままのため)これでやっと
オーディオシステムらしくなったという感じ・・・。
1986.2 3ヘッドカセットデッキ「アイワFF−70」
導入。

●「違いが分かる男」のデッキって感じだなあ・・・。
3ヘッドデッキとは、録音用と再生用が別のヘッドで
構成されているカセットデッキのことで、(これに消去
用ヘッドを合わせて3ヘッドと呼ぶ)一般的に音が良い
といわれている。実際、自分もそう感じた。あと録音し
ながら、録音された音をモニター出来るのもメリット。
1986.5 留守番電話「ソニーIT−R60」購入。
●アイハラの「歌う留守番電話」はあまりにも有名。以前、
「るすでんベスト」なるテープをつくったところ、ダビングして
ほしいという声が殺到した。
それまでアダプタータイプの留守電は、パイオニアな
どから出ていたが、マイクロカセットテープ2本を使用
した低価格機がソニーから発売され、いちはやく飛び
ついた。当時からいわゆる「溜り場」であり、「呑み会」
の幹事等をやる機会も多かったので、大いに活躍。
1986.12 Betaビデオデッキ「ソニーHF−705」導入
●とにかくデザインがかっちいい。既に後継機種が出て
いたが、デザインにホれて・・・。大学生協のオーディオフェ
アにて、旧タイプとして安く購入出来た。今まで購入した
全ての機材の中で、ベストデザインといいたい

既に「ベータ劣勢」といわれていた当時、あえてベータ
マックスを購入したため、まわりの友人から「なんで、
なんでー?」と問い合わせが殺到した。あくまで「テレ
ビ録画」コレクションが目的で、ビデオレンタル、テープ
の貸し借りは想定していなかったため、VHSである必
要はなかった。ソニー・ファンですし・・・。「独自路線」
ってすきです。
1987.12 レーザーディスクプレーヤー
「ソニーLDP−750」導入。

●パイオニアの商標権が開放されるまでは、ソニーは「レ
ーザービジョンプレーヤー」と呼んでました。。そういえば「
VHDプレーヤー」ってありましたねえ。当時「メガネ」みた
いのを装着して「VHDを選べば3Dがみれる・・・」なんて
意気さかんでした。カラオケに強いVHDと言われてました
が、ある「カラオケ屋(そんな呼び方あるのかっ!)」で、人
気のある曲はほとんど「針とび」で視聴不能だったんだよ
ね。歌いたい曲が歌えないって、こんなストレスはないよっ
!「大メーカー軍団」をもってしても「光学式」には勝てず。
80年代はMTVの全盛期で、様ざまなビデオクリップ
を録画したが、繰り返しの再生はビデオヘッドに負担
がかかるもの。そうした心配のいらないレーザーディス
クで収集しようというのが、導入のきっかけ。初ソフト
は、「ホイットニー・ヒューストン」。「恋は手さぐり」がい
いです。
1988.4 アウトドアオーディオ「アイワHS−J20」
導入。
「ウォークマン・タイプ」のカセットオーディオ2代目。
学生時代は、ビデオカメラがまだ高価だったため、こ
れを使っていろんな「会話」を録音したものである。
あの頃「ビデオ」があればなあー・・・って思うのは、
自分だけでないはず。
1988.12 MSX2+パソコン
「パナソニックFS−AIWX」導入。

●生かすソフトがないとハードは育たないという掟は、この
MSX規格にも当てはまるといえるだろう。
ソニー機が故障したため後継機として購入。しかし、
相変わらず「ワープロ機」以上の使い方は出来ず。
1989.1 CDソフト100枚突破。 導入4年後の快挙!洋邦新旧なんでもあるよ!
1989.12 S−VHSビデオデッキ
「シャープVC−S700」導入。
就職して初めての「フル・ボーナス」で購入。シャープ
機を選んだのは、「3倍モード」の美しさが「売り」だっ
たから。ベータと合わせた2台体勢で、ダビングも可能
に。

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